議な心境は人にはわからな

ブログ村エッセイで見かけた、とあるブログ記事。
ブロガーさんの夫さんの「どうせブログなんて書いても誰も読まないのに」という、ぽろり発言。
これに、わたしに変な火が着いた。


以下は、あくまでも「わたし」に関して超聲刀
読んで欲しくて書くのではない。
書いた結果、それが読まれるのは悪くない。
読んで読んで。わたし、わたし、とアピールしたいわけではない。
さらに、複雑めんどくさいのは、書いたくせに読まれたくない、という場合もある。
なら、書いてもアップするなよ、ということになり、その摩訶不思議な心境は人にはわからないと思うが。
深情、情熱の発露の結果が、文章の山。
ダラダラでも良い。


書いて封印しているものもある。
実は隠し子のように、若かりし日に創設した別ブログがなんと、あと2つもある。
ほぼほぼ閲覧数は限りなくゼロに近い幽霊ブログなのだが。(誇張ではなく)
わたしがこの世を去る前に、指が動かなくなる前に、目が見えなくなる前に、消滅させておかねば。
ネット宇宙のゴミは早めに撤去すべきなのだがthermage 邊間好、、、。
パスワード的なものを探すのが面倒。
そのうち、そのうち、と、放置したまま。
ひょっとすると、また書き溜め用にキープしておくかも知れない。(が、時間的に、それはない)


何しろ、脳がおしゃべりなのだ。
ピーチクパーチクうるさくてしかたない。
これは次から次へと脳に浮かんだまま脳外に出してお掃除しないと、脳がパンクしてしまう。
ゴミ屋敷化してしまう。
だが、ゴミは行政の決めた時間、場所に出さないと、不法投棄は罪になる。
そもそもわたしは、そんなヘイトスピーチ的なものは、アウトプットしない常識ある社会人である。
というか、自分自身が不快になる。
暴力は嫌い。
アントニオ猪木は良い人だったとしても、わたしはプロレスやボクシングは好きになれない。
女の子的なものが好き。
お花だとか、お人形だとか、布、服、光り物、調度品、工芸品、綺麗な優美なものが好き。
美術(建造物、絵画含む)、芸術(音楽、ダンス含む)、映画も好き。
キレのある斬新なもの(テーマ、題材、切り口、空間、建造物)も刺激を受ける。
最近は、「自然」も好き。「大自然」なら大感動兒童課程
美しい自然の中に身を投じると幸福感に満たされる。
なので、プロレスとかは無縁なのだ。

当人も含まれている

わたしの何の役にも立たない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございます。
お役立ち生情報もなければ、ナビゲートもなければ、解説もなし。
あるのは個人的解釈と一方的な感想のみ。
これで面白いわけがない拉提
まあそれはそれとして。


ちなみに、わたしの売りは毒舌。
斬られて快感を味わう人もいる。
ひと(他人)のことアルアルで、自分のこととは思っていないようだが、実際のところは、斬られているのは当人も含まれていることが多々ある。
わたしは自分を斬るついでに、他人ごとごっそり斬ってしまうことがあるので、言葉には注意しなければならない。
言葉に細心の注意を払った途端に、切れ味の悪い、誰も傷つけない代わり、何の印象にも残らない、つまらないブログになる。
みんな幸せで良かったね、というスタンスのブログは、書いていてこころの底から満足しているかというと、そうでもないhifu 效果
ほんとは言いたいけれど、自分では言えないことを代わりにわたしがズバッと言うと、スッキリして爽快な気分になる、と他のSNS日記で感想を言われたことがある。
そのSNS日記は閲覧数は少なくないのは、そういった毒舌のせいだと思われる。


最近、わたしは、人のこと言えないよね、という自覚があり、あまり毒を吐けない。
飲み込んでしまう。
だから面白くない。
めちゃくちゃキツイことや失礼なことをおもいっきり思っているが、わたしのどの口が言う?と、さすがに胸の内を打ち明けるのは躊躇われる。
で、言わない。
で、中途半端になる。
最初はとんがっていて覇気があったのに、幸せになってしまって面白くなくなった女芸人みたいで、生気がない。
やはり、記事にするには緊張感、張り詰めるものは必要だ正電子掃描
が、どよ〜んとしている。


さて。
今からワンオペで4人の孫たちを、お迎え、お泊まり、明日の朝まで、保育所、小学校へ送り出し任務あり。
ああ、しんど。

の難関私学合格率はも

小学校高学年での担任Y先生。
義務教育なのに、スパルタ教育。
クラスで結果はハッキリ出た永久脫毛
2組あるクラスのうち、わたしのクラス、Y先生組の難関私学合格率はもうひと組を遥かに上回っていた。
まるで私立の塾のようだった。
巻き添えになった一般生徒は、苦しかった。
なぜなら、モチベーションもないのに、無理やり一緒に引っ張られて行ったからだ。
トップクラスに照準を合わせて授業を進められると、普通の生徒はどうなるか?
落ちこぼれるか、バテる。
さらに、トップクラスの生徒は(後の想像だが)難関校向けの塾にも行っていたのではなかろうか。
ダブルワーク。
そんな生徒と同じトラックを走らされたのでは、かなわない激光脫毛副作用
無茶である。
ほのぼのしていた小学生が、いきなり勉強地獄に放り込まれた。
しかも、母親との個人面談では、「お母さん、ご家庭でもっと勉強させてください」とY先生に圧をかけられた。
家庭は父の病気で大変な時期だったこともあるし、わたしまで手が回らなく、母は、全然先生の言うことを馬耳東風で、わたしには手をかけなかったが。
定期的に出される大量の課題が迫ってくる中、家庭でのサポートなし、現場(学校)での圧力に押しつぶされそうになった、、、が、タフなのか鈍感なのか、なぜかこころは潰れなかった。


その時の級友やら、その後の級友やらは、わたしとは全く接点のない世界で活躍している。
とても誇らしい気持ちになり、応援している。
が、私事であるような、ないような、自分とは違う属性の他人なのに変に近い、不思議なものでも見るようだ。
距離感を掴みにくくなる。
自慢したとすると、自分のこと、偉業ではないので、みっともないだけだ。恥ずかしい。


たまたま一定期間、同じクラスにいただけのご縁。しかも小学生高学年。
とは言え、あの年齢で、ほぼほぼ人生のコースは決まりつつあった生徒が多かった。
小学校の同窓会は今まで一度たりとも行われなかった加拿大香港移民
言い出しっぺ的存在がいなかったのだろう。
あのクラスではねえ、、、
女子も男子も飛び抜けて素晴らしい頭脳の持ち主が揃っていた。
が、明暗がはっきり別れ、中には、隙間に染み込み埋没する生徒もいたが、卒業以来、一度も顔を見たことがない。
嫌だったんだろなあ、きっと。