使わないと埋まら

先週に突然決まった本日のスケジュール。
一瞬どうしようか迷ったが、その日が今後の自分の1番若い日。
躊躇しているヒマはない。
今日は心臓が口から飛び出してきそうなぐらい、ドキドキしている。
出掛ける1時間前から準備完了になり、時間を持て余している統一派位
何をしよう、、、。


暑い、、、。
暑いのにホットコーヒーを飲んだ。
ほとんど脳は溶けているとみた。
次。
大根サラダを食べた。
何も今、食べなくても。
次、、、何をしようか考えた。
こういう時は考えてもダメ。


で、洗面所の鏡の前に立った。
ポージング。
うん、イケる。
裸眼、0.01。ほとんど見えてない。
何がイケるのかわからないが、なんでも良い公司禮品


さて、あとは点検。
靴、これでいい?
いや、こっち?
いやいや、こっち。
いやいやいや、こっち。
どっちやねん。
まるで何足もある中で悩んでいるかの如く。
2足の普段靴の間を行ったり来たり。


で、キバっていないほうにする。
頑張りが見えるのは、カッコ悪い。
どっちみち、両方の靴ともに大したことはない。
にもかかわらず、どっちがいい?
と、まだやっている。
何しろ1時間もあるので、無駄な時間をいっぱい使わないと埋まらない。


やっと残り30分になった。
スキ間時間を埋めるのにはスマホ遊びをすれば良いのだが、その気にならない加拿大救生艇計劃
ソワソワ。
わたしのスマホ遊びは、自宅で一日中お尻が椅子にビタっと張りついている時しか興が乗らない。
役に立たないスマホだ。


ちなみに、昨日もまたまた帰りにスマホをいじっていて電車を乗り過ごした。
いったいこれで何度目か、数える気にもならない。
落胆、驚愕、自己嫌悪、諦め、怒り、笑い、いろんな感情が交互になってやってきた。
で、すれっと涼しい顔で電車乗り換えアプリで乗り換え駅の時間を調べる。
スマホのせいで乗り過ごしたが、ここはスマホに働いてもらう。


と、またまたスマホ入力していて今も電車乗り換えに失敗しないか不安だ。
スマホは元凶であり、ともだちでもある。
そう言えば、スマホなど端末機器を長時間いじって遊んでいる(幼児を含め)子供の認知度が落ちているらしい。
年寄りならともかく、未来ある子供には毒を孕む。


乗り換え駅を間違えないように、、、。
1本も2本早い電車に乗った。
さらに自宅では1時間も前からスタンバイ。


心臓の鼓動は高まるばかり、速まるばかり。
大丈夫か、わたし?
待ち合わせ時間より、30分は早く着きそうだ。

ては作り事ではない事実を

閲覧数の突然の乱れは徐々におさまり、もう1日、2日ぐらいでいつものアクセス数に落ち着くことだろう。
こういう作為的なことは、自然な結果を目安にモチベーションを保つ者にとっては弊害になる。
人気を売りにしているタレントや政治家、有名人が人気のバロメーターにしているのとは違い、一般人一ブロガーにとっては作り事ではない事実を反映したアクセス数でなければ、ブログシステムへの信頼が揺らぐことになる加拿大移民
なかには、一般人のちょっとしたつぶやき(例えば、「保育所、落ちた」など)が世相に火をつけ、政治まで動かす事態になることもある。
わたしのブログはそういう類のものでは決してない。


前には、コピー盗用事件も何度かあった。
ブログの著作権は、ブロガーにあるが、まるまるパクられて、見知らぬブログにアップされていることもある。
けしからん「あだ花」にはキリがない船運英國



突然、話はワープする。
昔昔、60年以上前、わたしが幼稚園児の頃。
幼稚園でお絵描きの時間があった。
いつも必ず、Y.Hちゃんが、わたしの絵を真似した。
幼稚園児のことだから、かわいいもの。
いつもいつもだったので、わたしは少しだけ不思議だった。
へえ〜、今回もか、と、事実を認証するのみ。
が、別にそれ以上の深い読みやツッコミはなかった。
感情を害するわけでも、真似するなと怒るわけでも、真似されるほど良いんだと自惚れるわけでもなかった。
彼女はやがてピアノの道に進んだ。
だから、分野が違うから問題ない。


とは言え、自分で絵を思いつかないのは、独創性、オリジナリティの欠如である。
しかし、ピアノの世界でオリジナリティを生み出すのは並大抵のことではない。
まずはルールに則った演奏を基本にする。
作曲したりするのは別として、何百年も前からある曲を弾くのは練習の積み重ねしかない。
その後、道は分かれていくのだろうけれど。


無から何かを生み出すのは、エネルギーがいる。
時代が認めない、評価しないこともある中国国债
芸術って、プロは大変。
商業化するにしてもそうだ。


こんな話、誰一人興味ないだろう。
書き手の深い考察も理解もなにもない。
上っ面だけすくって書いている。
確信しているが、観客ゼロのホームパーティは快適だ。

ないのが不気味だと

昨日アップの求人記事。
あれ、危ないと思う。
募集しているのは、どこの誰かなんて、すぐわかってしまうわけで、、、。
いくら警備員を10人雇っても、空からの防衛は困難減雙下巴
闇バイトの標的にもされかねない。
わざわざ身の危険をさらすなんて、どうなんだろう。


プロ料理人の条件は厳しい割には時給が安い、というWEB上の皆さんの声。
それに比べて、メイドさんの条件が一言も書かれていないのが不気味だという、これまたWEB上の声。
女中さん、お手伝いさん、メイドさん、、、呼び名も色々。
ハウスキーパーは、どうか?
ホームメーカー(家族)とは一線を画する(はず)水原共生
他にも執事さんだとかも、いることだろう。
めんどくさそうな生活だ。
そういうのは、漫画の中だけで良さそう。
実際に体感したい人はリアルを味わうなら、行政が運営している公園や施設が、断然オススメ。
市民だと無料のところもある。
掃除や管理が行き届いて気持ち良い。
税金がこんな風に使われているのを身を持って知ると、とても嬉しい。
なんで、皆さん、あんまり利用しないのだろう?
平和すぎて、身近すぎて、便利すぎて、刺激がないからだろうか。
自分の広大な敷地の庭で蚊に刺されながら草を引くより、ずっと効率が良い。
固定資産税を払う側より、無料で堪能させていただくほうが、どれだけ楽しく清々しいか。
と、わたしは思うが、あまり世の中の多くの皆さんには思われないようなかんじだと想像する。
手入れをしてくださる方々、ありがとうございます、の気持ちで美しく、楽々、なんのお手伝いもせずにお庭を拝見している激光脫面毛
とは言え、庭の手入れもボランティアでやっているわけではないので(行政から賃金が支払われている)、お互い、ウィンウィンだ。


公共の公園に行くと老若男女が楽しんでおられるので、皆さん、利用しているとは思うけれど。
行く気がしない、出かける気持ちにならない、そういう精神状態が、実のところは問題なのだ。
気持ちがふさぐと自発的に何もする気にならない。
子供を産む気にならないのと同じ。(話が飛躍)
産んだ後の社会や自分の今後を考えると積極的にはなれない、、、それと同じかなと。
いくらお金をばら撒いたり施策を充実させても、家庭で協力してくれる人がいないと辛い。
かと言って、社会で子育てフォローしてくれるなら、シングルマザーでも大丈夫、心丈夫となるのは良いが、
子育てのために必死で夫婦間で努力して折り合いを付けて頑張らない可能性もある。
難しいところだ。